人気ブログランキング | 話題のタグを見る

こまかいことにこだわってみるのもいいかもね (2003年8月クルーガー国立公園 Photo: E. Bailey)
by HOOP
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事
カテゴリ
検索
HOOPってこんな奴
 かつてスキンの絵柄が女性だったからといって女性が書いてるとは限らないだろ。これが意外どころか、そのものズバリの脂ぎった中年男だったりするのだ。まあ、気持ちだけはいつまでも14歳くらいだったりするんだけんども、そんなこと言われたって気味悪いだけだろうしな。

 あ、そういえば、ブログホイホイに捕獲されちゃいました。アクセスアップだけじゃなくて、けっこう面白いブログに出会えるから意外と使えるかもね。

 なお、コメント、トラックバックは大歓迎です。トラックバックの際には、当方記事へのリンクをお願いしております。




yoyaQ.com

新規モニター登録

ブログ広告ならブログ広告.com


リンクシェア アフィリエイト紹介プログラム

フィードメーター

あわせて読みたい





フルーツメール


[リンク]
リボゾーム
「多摩センター動物訴訟を応援する」
岩手といえば
モデルのダイエット
ブログホイホイ



ブログでブームはブロモーション



にほんブログ村 その他生活ブログへ

にほんブログ村

TREview





タグ
その他のジャンル
8月15日は日本を捧げた日


イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島県の海岸に上陸したのが
今から456年前、1549年の8月15日でした。

この日、8月15日は「聖母マリアの被昇天の祭日」に当たっていたために、
ザビエルはこの地、日本を聖母マリアに捧げたとされています。
(カトリック中央協議会 ひとくちメモ 「日本と聖母マリア」
まあ、何を言ってるんだか、ってなところですが。

私はいまだ自分の宗教観を確立しているわけではありませんが、
基本的には日蓮宗の信徒としてずっと生活してきました。
なんの不都合もない以上、これを根底から覆す必要はありません。

ただ、幼少の頃よりさまざまな宗教、たとえば幼稚園(平成15年に園児数減少のため廃園)が
浄土宗の寺だったので、家やお盆にやってくる坊さんが唱えるのは「題目」なのに、
幼稚園では「念仏」だったことや、
弟がカトリック教会の幼稚園に通っていたので、
そこのミサに参加したり日曜学校にも通ったりして、
さらに家は商売をやっていたので、神棚もちゃんとあったり。
また、よく通った医院の近くに別のキリスト教系の幼稚園があり、
そこはカトリックとは違うのだ、ということも小学校の低学年で既に意識していました。
西新井大師にも、節分の頃によく行きましたね。

そうした触れ合いの中で、宗教というか信教というものは、
成長の過程で自ら選択すべきなのだという考えが根付いたのかもしれません。

さて、話を戻しますと、宗教の自由というのは何か、ということです。
誰が何を信心しようが、他人が干渉すべきではない、とはよく言われることですが、
もちろん、政府や役所が干渉することは最もやってはいけないことでしょう。
一般市民の教育水準が低く、専横的な支配が行われているような社会では、
市民の知識レベルが向上することは、すべからく避けなければならないでしょう。
似たようなことが、旧東欧諸国の体制崩壊につながったことは記憶に新しいと思います。
宗教はある意味では個人の救済なのですが、
別の意味では社会の救済でもあり、
社会の救済がその宗教にとって至上の目的となった場合には
救済手段の是非は本来、問われなければなりません。

いや、話はひとつも戻ってはいませんでした。

昔話だけをするつもりだったのに、、、

弟が通っていた幼稚園のある教会、私がクリスマスミサで演奏したのをきっかけに
その後日曜学校に通った教会は、コンベンツァル聖フランシスコ修道会の教会でした。
この宗派はイタリアのアッシジで1210年に設立され、
その後3つの修道会に分裂したうちのひとつだそうですが、
日本への布教が始まったのは、実は20世紀になってからだったのです。

その立役者は聖マキシミリアノ・コルベ神父。
ポーランド人だった彼は1910年にコンベンツァル聖フランシスコ修道会に入会。
1917年には「聖母の騎士信心会」を設立し、翌年司祭になりました。
さらに1927年にポーランドに「ニエポカラヌフ(聖母の騎士)修道院」を創設したそうです。
彼は1930年4月24日に長崎にやってきて、大浦天主堂の近くに住み、
精力的に彼の著書の日本語訳を出版し、「長崎聖母の騎士修道院」を創設しました。

その後コルベ神父は1936年にポーランドに呼び戻され、すぐにナチにより投獄されて、
アウシュビッツの収容所で亡くなったのが1941年の8月14日。
10名の餓死刑宣告者のうち一人の身代わりとして、
10名の中では最後まで生きつづけ、最後は薬物を注射されて亡くなったのだそうです。
(コルベ神父は1982年、同じポーランド出身の教皇ヨハネ・パウロ2世により列聖)

その年の12月8日「無原罪の聖マリアの祝日」、聖母マリアが受胎告知を受けたその日に
日本は日米戦争に突入していき、1945年の8月15日「聖母マリアの被昇天の祭日」に
無条件降伏し、聖母マリアの誕生日である1951年9月8日に講和条約を結びました。
そう、聖フランシスコの名のついた場所で、、、

不思議な縁もあるものです。

これもフランシスコ・ザビエルのせい?


それにしても、アウシュビッツと私に接点があったとは、
しかもそれを繋いでいるのがコルベ神父だったとは、本当にびっくりしました。



まとまりがなくなってしまいましたが、
最後に、アイルランドはキルデア郡キルデアにある
聖ブリジットゆかりの井戸と修道院の写真を、、、

8月15日は日本を捧げた日_b0002954_182943100.jpg

どうしても、この立派なモニュメントに目が行ってしまいましたが、

8月15日は日本を捧げた日_b0002954_18381888.jpg

                            これが井戸の本体

8月15日は日本を捧げた日_b0002954_18354044.jpg
こういうところを通って、水はモニュメントの前まで導かれます。

8月15日は日本を捧げた日_b0002954_1835556.jpg

                             おみくじ、の筈はないのですが、
                             願い事でも書いてあるのでしょうか?

8月15日は日本を捧げた日_b0002954_1836077.jpg

                          いろいろなものが奉納(?)されています。

8月15日は日本を捧げた日_b0002954_1837367.jpg

                        井戸の近くにある樹齢1000年といわれる菩提樹

8月15日は日本を捧げた日_b0002954_18371395.jpg

                         修道院は町の真中にあります。
                         午後4時までなら中にも入れたのですが。

8月15日は日本を捧げた日_b0002954_1837242.jpg



トラックバック:
 【仏蘭西の夏】 8月15日はルルドへお参り。
   (■Tant Pis!Tant Mieux!そりゃよござんした。■)




人気blogランキングへ
by HOOP | 2005-08-15 18:49 | Diary
<< 昨夜、NHKの討論番組で 内苑 >>