「朝鮮海域に出撃した日本特別掃海隊 -その光と影-」
元防衛研究所戦史部主任研究官 鈴木 英隆
2 日本特別掃海隊の活動
(1)朝鮮半島東岸(元山)での掃海活動
元山での掃海兵力 TG95.6 掃海任務群は、指揮官スポフォード(Richard T. Spofford)大佐、旗艦兼掃海母艦米高速輸送艦「ダイアチェンコ」、米掃海艦艇 12 隻(DMS2 隻、AM3 隻、AMS7 隻)、米駆逐艦 1 隻、米工作艦 1 隻、米サルベージ艦 1 隻及び日本掃海艇8 隻でもって編成された。このうち米掃海艇 6 隻は、10 月 6 日佐世保発、10 日元山着で掃海を開始している。
一方、日本側は田村総指揮官直卒の下、旗艦「ゆうちどり」及び第 2 掃海隊(指揮官能勢事務官 MS344 隻、PS353 隻)が 10 月 8 日未明下関発、対馬海峡北方海面で米サルベージ艦と会合し、目的地が元山であることを伝えられた。 9 日には、吉田総理から特別掃海隊全般宛、「我が国の平和と独立のため、日本政府として国連軍の朝鮮水域に於ける掃海作業に協力する」旨の電報が届けられ、10 日元山着、翌日から掃海作業に着手している。
元山上陸作戦の上陸決行日(D日)は、 10 月 20 日であった。 10 日に至り、韓国第1 軍団が元山を占領したことにより米第 10 軍団の強襲上陸作戦の必要性は無くなった
が、北鮮軍の撃退のためには、速やかに第 10 軍団を上陸させることが必要であった。12 日、米側は触雷により掃海艇 2 隻が沈没し、13 人が戦死又は行方不明となり 79 名が負傷した。掃海作業は、航空機による機雷捜索を除き一時中断されたが、 14 日に再開された。17 日 1430、米軍から永興湾内の泊地と水路の掃海が下令され、日本側には触雷の危険性が少なく、航空機による機雷捜索の結果、敷設線がないであろうと考えられる海域が割り当てられた。ところが、最悪の事態が生起する。 1521、永興湾麗島灯台の 244 度 4,500m の地点で日本掃海艇 MS14 号が触雷により瞬時にして沈没したのである。米軍の交通艇、内火艇及び日本側 MS06 号の通船により 22 名を救出したが、行方不明者 1 名(中谷坂太郎氏)及び重軽傷者 18 名を出す事態となった。救出者 22 名は、いったん米サルベージ艦に収容、翌 18 日、米駆逐艦にて佐世保に移送された。
17 日夕刻、旗艦「ゆうちどり」で緊急対策会議が開かれ、各艇長からは、「米軍の戦争にこれ以上巻き込まれたくない。掃海を止めて日本に帰るべきだ」、「出港前の下関における総指揮官の説明とは話が違う」と喧喧囂囂たる雰囲気であったが、「米軍の上陸用舟艇(LCVP)で浅深度の小掃海を実施した後、我々の掃海艇による掃海を再開する」との能勢指揮官の提案を米軍に申し入れることとなった。会議終了後、石飛事務官を指揮官とする第 3 掃海隊 MS5 隻は、元山に向け同日朝下関を出港、米駆逐艦とともに元山に向かったとの情報がもたらされた。 18 日朝、田村総指揮官は、CTG95.6 掃海任務群指揮官スポフォード大佐に米 LCVP による小掃海を申し入れたが、 CTF95 前進任務部隊指揮官スミス(Allan E. Smith)少将から、「今から小掃海をやる時間的余裕はない。予定のとおり速やかに掃海を実施せよ」との命令が出された。このまま掃海を継続すれば、触雷は必至と思われ、同日午後、田村総指揮官が「小掃海を先行させつつ係維掃海するか、米掃海艇による係維掃海後に磁気掃海する」という譲歩案の具申にスミス少将を訪れると、「日本掃海艇 3 隻は 15 分以内に内地に帰れ。しからざれば 15 分以内に出港して掃海にかかれ。出港しなければ撃つ」と厳命された。これを伝えられた能勢指揮官及び各艇長は日本帰投を決心し、能勢隊(第 2 掃海隊)MS3 隻は、田村総指揮官の慰留を振り切って、修理中の MS17 号を横抱きにしながら永興湾を離れた。
10 月 18 日、元山の北鮮軍の機雷貯蔵所跡において、磁気機雷用のコイルが発見され、さらに同日夕刻、韓国掃海艇 YMS516 号が触雷・沈没した。CJTF7 第 7 統合任務部隊指揮官ストラブル(Arthur D. Struble)中将は、機雷の危険性に鑑み、また、10 月 10 日韓国軍が既に元山を占領していたこともあり、D日の延期を上申し、これに対しマッカーサー元帥は上陸の無期限延期を許可した。
20 日朝、第 3 掃海隊 MS5 隻は永興湾に到着、残存していた PS3 隻を同隊に編入、翌 21 日から米軍の命令どおり湾内水路と泊地の掃海を開始した。結局、元山港が啓開されたのは 25 日であり、米軍の元山上陸が行われたのは計画より 6 日後の 26 日であった。
能勢隊(第 2 掃海隊)は 10 月 20 日下関に到着し、その後能勢指揮官は海上保安庁に出頭した。一方、田村総指揮官も 22 日米軍の水上飛行艇で東京に帰投し、事の顛末を海上保安庁長官に報告している。米極東海軍司令部からは、「能勢指揮官と 3 名の艇長は航路啓開隊から排除せよ」という指令が発せられるとともに、GHQ からは、公職追放猶予中の旧海軍将校全員に対して猶予を取り消すという通達が出された。
能勢隊の帰投については、従来、これ以上犠牲者を出さないためにはやむを得なかったという肯定的な見方と、作戦遂行上犠牲者が出ても任務遂行を優先すべきであったという否定的な見方があるが、今回、米側の資料から次のことが明らかになった。即ち、22 日、能勢隊が何故帰投したかについて GHQ 公安局(Public Safety Division)と海上保安庁との会議がもたれ、日本特別掃海隊は、戦闘掃海ではなく確認掃海のみに従事するということで出撃していたこと、田村航路啓開部長と各船艇長とのやりとりで、北緯38 度以南の掃海に従事することとされたこと、そして、米現地指揮官は能勢隊の LCVPによる掃海の提案に何も対策を採らなかった事等が明らかにされた。この会議の結論として、能勢隊帰投の原因は、「米現地指揮官が日本特別掃海隊隊員の置かれた立場をよく認識せず、日本側の LCVP による掃海の申し出に対して何ら処置をしなかったことである」とされた。
24 日、大久保長官は、田村総指揮官宛の海上保安庁長官命令を打電し、前線部隊に対し日本政府の意向と掃海継続の方針を漏れなく伝達するよう命令した。31 日、大久保長官は田村総指揮官とともに米極東海軍司令部にジョイ司令官を訪れ、掃海艇 3 隻が日本に引き返したことを詫び、責任者の処分を約束した。ジョイ中将は、「日本の掃海隊が非常によく働いてくれている。今度の事故は残念だが、今後かかることのないよう協力を願う」と述べた。大久保長官はさらに、 10 月 31 日で切れる旧軍人掃海関係者の公職追放猶予の延期をジョイ中将に頼み、これを受けた GHQ は猶予の継続を認めた。責任者の処分については、当初米海軍は強硬であったが、日本側の掃海継続の誠意を認め、最終的には能勢指揮官一人が責任を負うことで解決した。
以後、第 3 掃海隊は、11 月 26 日まで同海域で掃海を実施し、同月 22 日到着した第1 掃海隊(第 2 次)(指揮官花田賢司事務官、PS1 隻、MS6 隻)と交代、下関に帰投した。第 1 掃海隊の作業は、既掃海面の日施掃海あるいは試航等安全海面の掃海であり、かつ自主性を付与されていたため、現地米軍との折衝は、極めて順調に経過したという。第1 掃海隊はその後 12 月 4 日まで掃海作業に従事し、12 月 6 日下関に帰投している。
元山における日本特別掃海隊は、 10 月 10 日から 12 月 4 日までの掃海作業において、能勢隊(第 2 掃海隊)が処分した 3 個を含め計 8 個の機雷を処分し、MS1 隻を失い、死者 1 名重軽傷者 18 名を出した。
(2)朝鮮半島西岸での掃海活動
朝鮮西海岸においては、 50 年 10 月、米第 8 軍の前進に伴い 1 日の補給所要量は1,500 トンに達し、京城以北の鉄道、トラック輸送では、その半分を輸送出来るにすぎず、航空輸送で補っても不足分を埋め合わせることは出来なかった。このため、海上輸送による物資補給が緊急に求められ、西海岸の諸港を啓開する努力が続けられた。
a 仁川・海州
山上隊(第 1 掃海隊(第 1 次)MS4 隻、PS1 隻)は、同月 7 日、日本特別掃海隊の先陣を切って下関を出撃 52、10 日仁川港外にて英、米、仏等の艦艇と会合している。その後、11 日から 31 日までの間、英国フリゲート艦「ホワイトサンドベー」とともに、CTE95.10 西海岸哨戒任務隊指揮官(英国)の下で、海州航路の掃海作業に従事し、計 15個の機雷を処分した。山上指揮官の所感として「英駆逐艦、韓国海軍艦艇との連係行動において国際場面に直面し、日本人たるの意識(たとえ日の丸を掲げざるも)と日本政府の代表たるの自覚に発奮と相互の美徳を遺憾なく発揮し、ピッタリとした気持ちの合致によって人の和は完全に達成し得たるは、本任務完遂に対し最大要因であった」、「韓国民は当隊の掃海作業に心から感謝していた」と述べている。なお、山上隊は、 11 月 1日海州発、3 日下関に帰投した。
その後、鎮南浦の掃海に従事していた大賀(良平)隊(第 4 掃海隊(第 2 次)MS4 隻、PS1 隻)は 11 月 30 日鎮南浦発、12 月 1 日から 6 日までの間、英駆逐艦「モーコンベイ」艦長の指揮を受け海州掃海水道の確認掃海を実施し、12 月 11 日下関に到着している。
b 鎮南浦
10 月 21 日、米第 8 軍は平壌の占領を宣言した。さらに西部海岸方面における作戦の進展に伴い、元山同様濃密な機雷が敷設されている鎮南浦を使用可能にすることが喫緊の課題となった。このため、アーチャー(Stephen M. Archer)米海軍中佐を指揮官とし、駆逐艦 1 隻、掃海艦艇 9 隻(DMS2 隻、AMS3 隻、韓国 YMS4 隻)、ヘリコプター1 機その他揚陸艦の搭載艇 LCVP 等からなる TE95.69 鎮南浦掃海任務隊が編成された。これに 11 月 7 日以後、日本の第 2 掃海隊が加わることとなる。
11 月 2 日、米掃海艇 AMS3 隻、韓国掃海艇 YMS2 隻による掃海作業が開始された。4日にはドック揚陸艦「カタマウント」が 12 隻の LCVP を搭載して到着し、元山で能勢隊が提案した LCVP による事前掃海が成果を上げることとなる。
日本特別掃海隊は石野(自彊)隊(第 2 掃海隊(第 2 次)MS9 隻)が 11 月 3 日下関発、7 日鎮南浦に到着し、翌 8 日から掃海作業に従事している。 9 日に下関を発った大賀隊(第 5 掃海隊 MS4 隻 59、PS1 隻)は 15 日鎮南浦着、30 日まで作業に従事する。さらに17 日には、我が国が傭船契約した試航船「泰昭丸」(6,000 トン)が加わり、同じく 30 日まで活動した。
第 2 掃海隊指揮官石野自彊氏によれば、掃海の方法は、まず米海軍水中処分隊が機雷を捜索拘束し、次いで浅喫水の上陸用舟艇 LCVP による略掃を行い、その後日本の掃海艇により精密掃海を実施するというものであった。韓国掃海艇に補給のため横付けした際、韓国軍の兵士から「自分の国の危機に(日本特別掃海隊が)手助けにきてくれているということを皆大変感謝している。中には日本を憎んでいる者もいるが、こんな皆さんの仕事を知らない人が多い」と話し掛けられたという。11 月 20 日鎮南浦の掃海完了が発表され、掃海作業も既掃海水道内を日施掃海するだけになった。第 2 掃海隊はアーチャー大佐(昇任)の命令により内地に帰投することとなり、 12 月 3 日鎮南浦発、7日下関に帰投した。鎮南浦における第 2 掃海隊の処分機雷は、2 個であった。
なお、中共軍の介入に伴い、米第 8 軍は 11 月 28 日前線から後退し、12 月 4 日から5 日にかけて鎮南浦からの撤退と数万に及ぶ亡命者の南への移送を余儀なくされ、さらに 5 日には中共軍が平壌を占領するという情勢の中、石野隊(第 2 掃海隊)の鎮南浦からの帰投は、まさに中共軍との戦闘に巻き込まれる寸前の脱出であったと言えよう。
c 群 山
萩原隊(第 4 掃海隊 MS7 隻)は、10 月 17 日下関出港、19 日群山に到着、翌日から掃海業務を開始した。同隊は、TE95.7 韓国海軍任務隊(米指揮官)に編入され、韓国 YMS艇長の指揮を受けながら 64、11 月 4 日までの 16 日間掃海業務に従事し、計 3 個の機雷を処分して、同月 9 日下関に帰投している。この間、10 月 27 日には、日本掃海艇 MS30号が座礁沈没したものの幸いにして死傷者はなかった。
また、英国フリゲート艦艦長から「給料を 3 倍出すから鎮南浦の掃海をやってくれ」と再三にわたり口説かれたというエピソードは、当時、鎮南浦掃海の緊急の必要性を物語るものと言えよう。事実、第 4 掃海隊の MS4 隻は、11 月 2 日第 2 掃海隊に編入され、4 日群山発、途中下関から出撃した石野隊と合同し、7 日から鎮南浦の掃海に従事している。
群山における日本の掃海作業報告には「同じ海域に対し、違った作戦命令が佐世保の第 3 掃海隊群司令部、韓国船 YMS-513、英国駆逐艦「モーコンベイ」及び日本の総指揮官から出され、我々はどの命令をとるべきか判断に迷わされた」「全作業を我々に任されたら、我々自身のペースでもっと容易に掃海作業を実施できたと思われる」とあり、群山においては指揮系統が混乱しており、また、日本側に必ずしも自主性が付与されていなかったことが伺える。
朝鮮海域に出撃した日本特別掃海隊 -その光と影- (4)に続く
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