こまかいことにこだわってみるのもいいかもね (2003年8月クルーガー国立公園 Photo: E. Bailey)
by HOOP
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HOOPってこんな奴
 かつてスキンの絵柄が女性だったからといって女性が書いてるとは限らないだろ。これが意外どころか、そのものズバリの脂ぎった中年男だったりするのだ。まあ、気持ちだけはいつまでも14歳くらいだったりするんだけんども、そんなこと言われたって気味悪いだけだろうしな。

 あ、そういえば、ブログホイホイに捕獲されちゃいました。アクセスアップだけじゃなくて、けっこう面白いブログに出会えるから意外と使えるかもね。

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「幣原喜重郎の戦中戦後の回想」より
b0002954_19121462.jpg幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)

1972(明治5)年大阪府に生まれる。
東京帝大英法科卒業。
外務省に入り、1919年駐米特命全権大使となり、21年ワシントン軍縮会議に全権委員として出席、24年加藤高明、次いで第一次若槻、浜口、第二次若槻各民政党内閣の外相を歴任した。
その間アメリカの排日問題、対中政策の改善、ロンドン軍縮会議批准等に努め「幣原外交」といわれる親英米政策をとった。
31年政界を引退したが、終戦間もない45年首相となり、新憲法の作成に努力した。
後、進歩党総裁、衆議院議長等を務めた。
51年3月死去、79歳。

「幣原喜重郎の戦中戦後の回想」より
 図らずも内閣組織を命ぜられ、総理の職に就いたとき、すぐに私の順に浮んだのは、あの電車の中の光景であった。
 これは何とかしてあの野に叫ぶ国民の意思を実現すべく努めなくてはいかんと、堅く決心したのであった。
 それで憲法の中に、未来永劫そのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。
 つまり戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならないということは、他の人は知らないが、私だけに関する限り、前に述べた信念からであった。それは一種の魔力とでもいうか、見えざる力が私の頭を支配したのであった。よくアメリカの人が日本へやって来て、こんどの新憲法というものは、日本人の意思に反して、総司令部の方から迫られたんじゃありませんかと聞かれるのだが、それは私の関する限りそうではない、決して誰からも強いられたのではないのである。
 軍備に関しては、日本の立場からいえば、少しばかりの軍隊を持つことはほとんど意味がないのである。
 将校の任に当ってみればいくらかでもその任務を効果的なものにしたいと考えるのは、それは当然のことであろう。
 外国と戦争をすれば必ず負けるに決まっているような劣弱な軍隊ならば、誰だって真面目に軍人となって身命を賭するような気にはならない。
 それでだんだんと深入りして、立派な軍隊を拵えようとする。戦争の主な原因はそこにある。
 中途半端な、役にも立たない軍備を持つよりも、むしろ積極的に軍備を全廃し、戦争を放棄してしまうのが、一番確実な方法だと思うのである。
 もう一つ、私の考えたことは、軍備などよりも強力なものは、国民の一致協力ということである。
 武器を拵たない国民でも、それが一団となって精神的に結束すれば、軍隊よりも強いのである。
 例えば現在マッカーサー元帥の占領軍が占領政策を行っている。
 日本の国民がそれに協力しようと努めているから、政治、経済、その他すべてが円滑に取り行われているのである。
 しかしもし国民すべてが彼らと協力しないという気持になったら、果たしてどうなるか。
 占領軍としては、不協力者を捕えて、占領政策違反として、これを殺すことが出来る。
 しかし八千万人という人間を全部殺すことは、何としたって出来ない。
 数が物を言う。事実上不可能である。
 だから国民各自が、一つの信念、自分は正しいという気持で進むならば、徒手空拳でも恐れることはないのだ。
 暴漢が来て私の手をねじって、おれに従えといっても、嫌だといって従わなければ、最後の手段は殺すばかりである。
 だから日本の生きる道は、軍備よりも何よりも、正義の本道を辿って天下の公論に訴える、これ以外にはないと思う。
 あるイギリス人の書いた『コンディションズ・オブ・ピース』(講和条件)という本を私は読んだことがあるが、その中にこういうことが書いてあった。
 第二次世界大戦の際、イギリスの兵隊がドイツに侵入した。その時のやり方からして、その著者は、向うが本当の非協力主義というものでやって来たら、何も出来るものではないという真理を悟った。
 それを司令官に言ったということである。
 私はこれを読んで深く感じたのであるが、日本においても、生きるか殺されるかという問題になると、今の戦争のやり方で行けば、たとえ兵隊を持っていても、殺されるときは殺される。
 しかも多くの武力を持つことは、財政を破綻させ、したがってわれわれは飯が食えなくなるのであるから、むしろ手に一兵をも持たない方が、かえって安心だということになるのである。
 日本の行く道はこの他にない。わずかばかりの兵隊を持つよりも、むしろ軍備を全廃すべきだという不動の信念に、私は達したのである。

  


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by HOOP | 2015-05-16 19:02 | Reading | Comments(2)
Commented by zushi53 at 2015-07-17 09:18
幣原の軟弱外交により、第一次南京事件で報復も抵抗もせず、英国からの共同出兵の要請にも反対し、穏便な対応に終始した日本に対し、英国は疑念を募らせ、裏で日本の対中接近・米英離間の下心があるのではないかと疑い、自らも「アヘン戦争以来の外交政策転換」と語る親中政策を模索・開始することになる。これは、その後の日中戦争前後の中国に対する英米の支援・日本非難という形として現れ、こうして時機を得ない協調外交は、日本と列強諸国との関係にも変化を及ぼすことになった。(ウィキペディア南京事件より)
Commented by HOOP at 2015-07-17 17:11
>zushi53さん
そういう反省もあったのではないでしょうか。
一方、今、強気の方は反省というものは一切ないので。
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