昆虫の羽をむしったりというところから始まるのではないでしょうか。
私はニクバエの羽をむしったら、ウジが出てきてぎょっとした経験がありますが、
そもそも、羽をむしったり、脚をもいだり、
そういう行為をするうちに、その罪深さや、生命の尊さに気づかされ、
いつの間にかそういうことをしなくなるきっかけになるような気がするのです。
別に、そういう行為をする必然性はないと思いますが、
より大きな動物や、人に対して同様な行為をするのは、
それに対する抑制が効かない状態、
つまり、より若い時期に経験したことにもとづく抑制がないから、
という気がするのですが、それは私の勝手な思い込みでしょうか?
【海外発!Breaking News】ダイナマイトで犬を殺した少年グループ。
少額罰金刑に市民激怒。(ホンジュラス)中央アメリカに位置する国ホンジュラス。このほど10代の少年が空き地に集まり、犬の体にダイナマイトを巻きつけて着火した。この事件に、市民は「軽い罰金刑などで許してはならない」と強い憤りを示している。
考え方によっては、カエルのクロアカ(総排泄肛門;便も卵もすべてここから出て来る)に
爆竹を突っ込んで爆発させるのと、単にスケールが違うだけ。
彼らにとって手に入る動物と爆発物の種類が違っただけとも言えます。
そう、私たちはとっても恐ろしいことを、
幼い時に実際にやってしまっていたのです。
「だから」そういう行為を若い人たちや子供たちにやらないようにしむける、
それは必要なことでしょう。
残虐な行為を「した」ことがなくても、しない方が良いと気づくチャンスはあるでしょう。
そういう指導もできるかもしれません。
長くなりましたが、そういう工夫をこれまでしないでいて、
ダイナマイトを犬に縛り付けた少年たちを、
法定刑以上に罰するように叫ぶことはできないと思うのです。
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