増上慢(ぞうじょうまん)とは、
仏教でいまだ悟りを得ていないのに得たと思念して高ぶった
慢心のこと。(
Wikipedia)
四慢(増上・卑下・我・邪)の1つ、また七慢(慢・過・慢過・我・増上・卑劣・邪)の1つ。すなわち自己の価値をそれ以上に見ることをいう。また俗にいう自惚れに相当する。
倶舎論巻19には、「いまだ証得せざる殊勝の徳の中において已(すで)に証得すると謂(い)うを、増上慢と名づく」とある。また法華経の方便品第2では、釈迦が法華経以前に説いた教えは仮の教えだったとして、これから真実の仏法を説こうとしたところ、5000人の増上慢の比丘が「それならば聞く必要はない」としてその座を立って去ったとある。これを五千起去(ごせん・ききょ、きこ)という。
12日に藤沢市片瀬の龍口寺で、青森県鰺ヶ沢町漁師町にある
海聚山(かいしゅうざん)永昌寺住職・
田端義宏常任布教師の法話を伺う機会を得ました。
その法話の中で、末世には増上慢がはびこる、と日蓮上人が立正安国論の中で述べている。
その増上慢は三つに分類される。というのです。
俗衆増上慢・道門増上慢・僭聖増上慢の三つです。
いずれも、詳しい、なおかつ本来の教義にもとづく解説は専門のサイトにお任せするとして、
現在の世相に当てはめてみると、妙に符合する現象に気づいてしまいました。
もちろん、日蓮宗あるいは法華経の教えについての喩えとしては
正しいとは言えないどころか、大きな勘違いではあるのですが、
本当に妙に符合するのです。
それは何かというと、
俗衆増上慢と、いわゆる情弱者、あるいはテレビ全国紙信奉者のほか、
ネットの耳障りの良い意見や情報に同調して騒ぎ立てる人々
さらには甘やかされて育った子どもとその成れの果て
道門増上慢と、ネットのオピニオンリーダー的な発信者(右翼的、左翼的の別なく)
そして僭聖増上慢と、政治家・評論家・マスコミ関係者および御用学者と呼ばれる人々
それに加えていわゆる財界人と呼ばれる人々
どうでしょう?
教義とはちょっと離れて素朴に比較すると、妙に符合していませんか?
特に俗衆増上慢や道門増上慢に私自身が陥っていないかについて、
自省を込めて書いてみました。
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