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こまかいことにこだわってみるのもいいかもね (2003年8月クルーガー国立公園 Photo: E. Bailey)
by HOOP
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HOOPってこんな奴
 かつてスキンの絵柄が女性だったからといって女性が書いてるとは限らないだろ。これが意外どころか、そのものズバリの脂ぎった中年男だったりするのだ。まあ、気持ちだけはいつまでも14歳くらいだったりするんだけんども、そんなこと言われたって気味悪いだけだろうしな。

 あ、そういえば、ブログホイホイに捕獲されちゃいました。アクセスアップだけじゃなくて、けっこう面白いブログに出会えるから意外と使えるかもね。

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空前絶後、米本土を爆撃した男
b0002954_48381.jpg

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/97/FujitaNobuo.jpg


昭和17年9月、2度にわたって米国本土を爆撃した男がいた。


Nobuo Fujita - Wikipedia (英語版)

米本土爆撃した日本人 爆撃地から“敬意表したい”と招待状
今日、12月8日は、日本軍がハワイ・真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が開始してから70年目の日である。そして 1942年6月、日本はミッドウェー海戦で敗退。戦局は大きく米国側に傾きつつあった。そこで、起死回生の一撃を見舞うという意図のもとに計画されたのが米本土爆撃計画だった。同年7月、伊号25潜水艦の藤田信雄飛曹長が海軍省に呼ばれ、作戦を指示された。

同年9月9日、米西海岸沖600カイリの地点からパイロットの藤田を乗せた零式小型水偵が、オレゴンに向けて飛び立った。520個の小型焼夷弾が詰められた76キロ爆弾2個を投下、オレゴンの森を火に包んだ。歴史上初めて、米国本土が航空機によって爆撃された瞬間だった。

戦後の1962年5月、藤田の元に招待状が届く。米国はオレゴン州ブルッキングス市からのものだった。「貴方の勇気と愛国心に敬意を表したい」と書かれていた。爆撃したその地の人々から、なぜ招待されるのか。日本で評価されなかった自分が、どうして敵国から敬意を表されるのか。

藤田は“万が一”の時に備え、伝家の日本刀を荷物に忍ばせた。いざとなったらこれで割腹自殺する覚悟だった。

だがそれは杞憂だった。ブルッキングス市民は、「米国本土を爆撃したただひとりのサムライ」と心から称えていたのだ。藤田は感激し、罪滅ぼしとして、持参した日本刀を寄贈した。

それから36年後の1998年10月、藤田の遺族が同市を訪れた。1年前に亡くなった藤田の遺灰を、「アメリカ大陸が唯一日本機に空爆された地点」と書かれた標識の袂に埋めるためだった。遺族らが歓迎を受けたのは言うまでもない。

※SAPIO2011年12月28日号



敵軍の英雄 (アメリカ本土空襲 - Wikipedia 日本語版より)
終戦後の1962年に、藤田飛曹長はオレゴン州ブルッキングス市から招待を受けアメリカに渡り、同市市民から「歴史上唯一アメリカ本土を空襲した敵軍の英雄」として大歓迎を受け、同市の名誉市民の称号を贈られた。またその時、同市市民から藤田飛曹長が投下した焼夷弾の破片を贈られた。その破片からはかすかに火薬の臭いがしたという。なお藤田飛曹長は、戦争中、軍刀として用いた愛刀をブルッキングス市に寄贈した。

この招待は外務省を通じて伝えられたが、当の本人には招待の趣旨が知らされていなかったため、現地に到着するまで「戦犯として収監されるのかもしれない」と思っており、寄贈した軍刀は戦後も密かに所持していたものを、収監されそうになった時には自決するため、荷物に忍ばせて持参したものであった。

その後、藤田飛曹長は贖罪の意味を込めて同市に植林を行ったり、同市市民を日本に招待するなど日米友好に残りの半生を費やした。また、そのような貢献を受けて、後にロナルド・レーガン大統領よりホワイトハウスに掲揚されていた星条旗が贈られた。なお、現在爆弾片と星条旗は、茨城県土浦市の「まちかど蔵野村」に保存公開されている。

このエピソードは1995年12月29日放送の『たけし・さんまの世界超偉人伝説』(日本テレビ)で取り上げられ、藤田飛曹長本人も出演している。しかし日本では余り知られる事がなかった事もあり、ゲストで出演していた元海軍軍人の西村晃も「この話は全く知らなかった」と発言している。


タイム記者が出会った「巨魁」外伝




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by HOOP | 2011-12-08 08:32 | News watch | Comments(4)
Commented by nob at 2011-12-08 22:18 x
日本って潜水艦の用兵が基本的におかしいですよね。
ゲタばき搭載した潜水空母でスエズ運河まで行こうとか発想がナナメ上w
昔からガラパゴスだったんだ、日本って。
Commented by HOOP at 2011-12-09 05:21
>nobさん
まあ、潜水艦乗りが優秀すぎたのでしょう。
Commented by antsuan at 2011-12-09 10:07
横レスで失礼します。
nobさんのおっしゃる通り、潜水艦の用兵が時代に着いて行けなくなっていた事が海戦に敗けた原因でもありますが、港や運河の封鎖は海戦の基本中の基本です。
それと、敗戦時には二十ノットのスピードが出る潜水艦も完成していました。現代の攻撃型潜水艦の原形だったのです。
(秘密)兵器って、みんなガラパゴス化的な発想のものじゃないのでしょうか。日本海海戦の勝敗を決した下瀬火薬しかり。
Commented by HOOP at 2013-09-25 04:42
>あんつぁん
枯れた兵器といえば、米空軍のB52戦略爆撃機もそうですね。
まだまだ、現役を続けて行きそうです。
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