もう、20年になるのですね。
あの日、私は仕事が休みだったのですが、
近所の先輩の家に電話しておしかけていった。
そこで食事の用意ができるまで、
たぶん、高校野球のその日の最終試合でも見ていたのだろうと思う。
字幕で出たニュースは「羽田発の日航機が行方不明」というもの。
関西から北海道に出張していた人が、東京に寄ってから帰るのに乗るかも
などという心配をしながら、それでも他人事だと思い、ビールを飲んでいた。
その後、米軍の輸送機が炎を目撃したということなどを見て
「誰か生きているはずだから、早く助けに行ってあげてほしい」と言った私に
先輩は「生存者などいるはずがない」と諭すように言った。
しかし、私はなぜか確信めいたものを感じていた。
10代の夏を、ほぼ毎年のように長野県の南相木村で過ごした私には
墜落したらしい地点というのがどんなところなのか、なんとなくわかっていた。
その時点での総合的な判断というよりは、直観で、生存者がいると確信したのだ。
その夜のうちに米軍のヘリコプターは現場に到着したが、
捜索を開始する直前に撤収命令が出ていたという。
(当初、これは「誤報」とされたが、事故の10年後に、
米軍によって改めて事実だったと確認されているそうです)
結局、自衛隊の捜索部隊が現場に到着するのは翌日になってしまい
その間に命を失った方もあったと思われる。
どうにも腑に落ちない顛末がたくさんあった事故ですが、
今更、疑惑を掘り返したところで、犠牲者が蘇るわけでもなく、
ただただ、同じようなことが繰り返されないことだけを願っています。
日本航空123便墜落事故 (Wikipedia)
こんなにいろいろ取り沙汰されているのにクライマーズ・ハイ航空宇宙講演会 in Tochigi 20058月12日という日人気blogランキングへ