馬車鉄道から蒸気機関車による運行に切り替わった阪鶴鉄道では、開業当初の1898年から東海道線神崎駅(現尼崎駅)に引込み線を設けてあったそうです。国営化後、すなわち福知山線になってからのことになりますが、そのうち神崎―塚口間はもっとも早く複線化が行われ、複線開業は1934年となっています。
日本鉄道請負業史によれば、この複線化は昭和9年5月15日竣工、請負業者不明と記載されています。その後改良工事がどの程度行われたのかの資料がみつからないのですが、曲率の変更などが行われなかったとすると、事故のあった上り線の基本設計は70年前の下り線と基本的に変わっていないことになります。このあたりはどうなっているのでしょうね。
なお、福知山線はもともと東海道線に向かって直進・直交していたはず、との指摘が一部にあるようですが、これは福知山線のそもそもの前身である、川辺馬車鉄道が尼ケ崎駅(のちに尼崎港駅となって廃止)―伊丹駅間を開業して以来、東海道線神崎駅(現尼崎駅)西方で立体交差していたことから、このような話も出るようです。しかし、この路線(福知山線尼崎港支線、俗称金楽寺線)は1981年に旅客の扱いをやめ、1984年には貨物線としての営業も廃止して現在は廃線となっています。旧線時代の写真はいくつかのHPで見ることができますが、
このページが一番わかりやすい写真を取り上げていました。また、路線図は「福知山線 尼崎港」などのキーワードで検索するとヒットします。
というわけで、現在の福知山線が東海道線と同じ尼崎駅を使うようになったのはかなり古いことで、最近急にカーブを設けたわけではないのですが、この区間の曲率半径は、97年といいますから、東西線との乗り入れ開始からでしょうか?上り線と下り線が現場付近で別れていたのを、下り線側を現場付近では複線として使うように付け替えを行ったことから、
曲率がそれまでの600Rから300Rときつくなったのだそうです。
古い航空写真を見つけました。
昭和49年度、
昭和54年度と
昭和60年度に撮影されたものです。
<尼崎脱線事故>直線の制限速度20キロアップ ダイヤ改正 (Excite/毎日新聞)
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