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こまかいことにこだわってみるのもいいかもね (2003年8月クルーガー国立公園 Photo: E. Bailey)
by HOOP
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HOOPってこんな奴
 かつてスキンの絵柄が女性だったからといって女性が書いてるとは限らないだろ。これが意外どころか、そのものズバリの脂ぎった中年男だったりするのだ。まあ、気持ちだけはいつまでも14歳くらいだったりするんだけんども、そんなこと言われたって気味悪いだけだろうしな。

 あ、そういえば、ブログホイホイに捕獲されちゃいました。アクセスアップだけじゃなくて、けっこう面白いブログに出会えるから意外と使えるかもね。

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朝鮮海域に出撃した日本特別掃海隊 -その光と影- (5)
朝鮮海域に出撃した日本特別掃海隊 -その光と影- (5)_b0002954_046573.jpg


「朝鮮海域に出撃した日本特別掃海隊 -その光と影-」

元防衛研究所戦史部主任研究官 鈴木 英隆


おわりに

 日本特別掃海隊の朝鮮海域への派遣は、当時の国連軍側の極東における掃海兵力の状況及び占領下で講和条約締結前という日本の置かれた立場から、我が国にとって極めて避けがたいものであった。吉田首相はこれを国際貢献の好機と捉え、我が国の独立のため、そして国際的地位獲得のために巧みに活用したものと言えよう。また、日本特別掃海隊の活動は、元山で掃海艇の触雷・沈没により死傷者を出し、能勢隊 3 隻が日本に帰投したものの、全体として国連軍の作戦に大きく寄与するとともに、旧海軍時代から培った掃海に関する術力を誇示し、我が国及び国連軍、特に米海軍の期待に十分に応える成果をあげたものと言えよう。

 一方、派遣隊員の心情は、プロフェッショナルとして「掃海をするために」あるいは「我が国の独立のために、そして国際社会の一員として」等々さまざまであったが、その根底には、帝国海軍軍人の繋がりもしくは同じ掃海仲間という強い結びつきがあったものと思われる。さらに、派遣の事実が秘匿されたことにより、マスコミ及び国会等で大して取り上げられることなく、日本特別掃海隊の朝鮮海域派遣を成功させることが出来たものの、彼らの活躍が約 30 年にもわたりほとんど世に知られることなく、また、彼等自らもその事実を口外できなかったことは、日本特別掃海隊の残した負の遺産とも言えるのではないだろうか。

 50 年 12 月 15 日、大久保長官が米極東海軍司令部にバーク少将を訪れた際、バーク少将は大久保長官にワシントン行きを勧めるとともに、「日本の海上保安庁掃海隊が朝鮮海域で国連軍を援けたことは、国際的にきわめて有意義であった。今回の海上保安庁の業績は高く評価されており、私個人の考えでは、日本の平和条約締結の機運を、ぐっと早める効果をもたらしたと思う」と述べた。一方、51 年 1 月、大久保長官がバーク少将の勧めでワシントンを訪れた際、国連アメリカ代表部の海軍武官は「朝鮮戦争における日本特別掃海隊の業績を、国連では高く評価している」と述べたとされ、日本特別掃海隊の活躍が国連内でも認められたことを示している。このことは、日本特別掃海隊の活躍が吉田首相の「朝鮮掃海に協力して講和条約を有利に運びたい」という目論見どおりの成果につながったのではないかと考えられるが、本研究においては、バーク少将が言うような「日本特別掃海隊の活躍が平和条約締結の機運を早める効果をもたらした」のかについては、残念ながら究明するに至っていない。

 なお、朝鮮戦争において、海上保安庁の掃海部隊は、日本特別掃海隊の派遣の他に以下の二つの活躍をしている。その第一は、東京湾口及び佐世保港外の日施掃海であり、共産側の潜水艦及びゲリラによる機雷敷設に対する警戒措置として、米極東海軍から指令されたものであり、50 年の 7 月から開始し、我が国独立後の 53 年 9 月まで実施したものである。その第二は、試航船「桑栄丸」の朝鮮海域への派遣であり、米極東海軍の要請により、51 年 4 月から 52 年 7 月まで 3 次にわたり、釜山、鎮海、馬山、木浦、麗水、仁川の海域を試航したものである。これらの事実は、日本特別掃海隊の派遣同様秘密裡に処理され、未だにその詳細は明らかにされておらず、新たな研究成果に期待するものである。


  


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by HOOP | 2015-05-29 21:44 | Reading
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